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「第1回 法律翻訳のジャンルと将来性」

石田佳治
(バベル翻訳大学院(USA) ディーン


石田佳治  今回から、法律翻訳を目指す方のために、学生や読者から寄せられた質問をもとに、法律翻訳の概論を研究していきましょう。はじめに、質問を立て、これに解答解説をしていきます。質問があればお寄せください。

  <質問>
  法律翻訳とはどのようなものですか。
  翻訳者として法律翻訳を選ぶことに将来性があるでしょうか。


お答えします。

1. 法律翻訳がカヴァーする範囲は法律のみの翻訳ではありません。政府官公庁が出す法律にからんだ政省令、行政規則、告示など(あわせて法令と呼ばれます。)や地方、公共団体(県や市町村など)の条例、規則などの翻訳がありますし、独立行政法人や業界団体などの規則の翻訳も入ります。

企業と企業、企業と個人、個人と個人の間の契約書も当事者の権利・義務や禁止・許可の事項を定め、法律的な効力を生じるものですから法律翻訳のジャンルに入ります。

企業がその構成員(社員や役員など)を律するための諸規定(就業規則などの社内諸規則、経理規定などの内部統制ルール、定款や取締役会規則などの会社の規定)なども法律的な規制のルールですから同様の法律翻訳のジャンルに入ります。   

行政庁や団体、企業、個人が発行する証明書、保証書、確認書なども一定の責任や資格を証明するためのものですから、法律的な書類でありその翻訳は法律翻訳の範疇に入ります。

企業や個人が裁判や仲裁や審議など法律的な紛争や問題に巻き込まれたときの関係書類(訴状や申立書、答弁書や反論書、証拠書類の翻訳も勿論法律翻訳のジャンルに入ります。

その他、法律論文や法律書籍の翻訳も法律翻訳の対象となる文書です。  

要するに法律問題にからんだ文書の翻訳すべてが法律翻訳の範囲になるわけです。


2. 法律文書の翻訳は英日翻訳と日英翻訳の双方向があります。英文の法律、契約書、規定、訴訟文書を日本文に訳す場合もありますし、その逆に日本文の法律、契約書、規定、訴訟文書を英文に訳す場合もあります。 これら一切が法律翻訳です。


3. 法律翻訳の将来性はどうでしょうか。
次のように考えましょう。

(1) ここ10年なり20年のスパンで考えますと、身の回りに法律や規制やルールといったものが増えたと感じられませんか。企業内での内部統制ルールや就業規則や諸規定が増えたとお思いになりませんか。ビジネスの上でも契約書や保証書その他の法律的書類が増えたと思われませんか。個人の生活の上でも、インターネットの規約や金融機関などから送られて来る規則類が多くなったと感じられませんか。新聞やテレビの報道で法律や条例・規則のニュースが多くなったと気付かれませんか。

社会が復権化し、経済が発展し、技術が進歩すれば、その社会がスムーズに運営されるための約束ごと(つまり法律や契約や規則)などがより細かく必要になります。そのような約束ごとを決めないと世の中がうまく廻って行かないのです。

そう言うわけで、ものごとを10年なり20年のスパンで考えると法律や条例や規制や契約はものすごく増えているのです。これは日本だけでなく世界中の国がそうです。

(2) グローバリゼーションという言葉はお聞きになったことがあるでしょう。この10年、20年を考えれば日本を含めて世界中の国が一つの市場経済の下に入ってしまいました。輸出も輸入も全く自由になりました。日本人は食べるもの着るものもその多くを外国からの物に頼っていますし、日本の生産物(その多くは自動車や機械)は世界中に輸出されています。金銭の為替交換も自由になりましたし、人の往来も自由になりました。情報も世界中かが一つの市場になって自由に行き来しています。

当然に、海外の企業や人たちとの取引も増えました。物の輸出だけでなく、技術や情報のライセンス、共同事業、合弁事業も増えました。今や国境というものが意識されないほど、ヒト、モノ、カネ情報が自由に行き来しているのです。これがグローバリゼーションです。

(3) このような世の中、即ち、社会の仕組みが複雑化して規則類が多くなったことと、国と国がボーダレスになってグローバル化して来たときに起きることは何でしょうか。それは、それらの規則類の翻訳です。膨大に存在する規則類を二言語(我が国の場合は英語と日本語でしょう。)で書くことです。海外の取引先(仕入先も販売先もそれが普通になって来ています。)との契約書は英日両語で作成しなければなりませんし、海外の産業規格や業界規則も英語と日本語で入手しなければなりません。海外の国の法律や行政規則も英語のものを日本語で読めるようにしなければなりません。日本の法律や規則類は英語で提供しなければなりまん。     

まず海外との契約書を英語で作成しなければならないことは当然です。企業内だけを考えても、日本の企業がその製品を発売するときは世界中の国を相手にしてマーケティングを考えなければなりませんから、世界中の国の法律、規制、産業規格を知らなければなりません。原材料の購入を考えれば相手国の企業の日本の法律規制や産業規格を(日本語でなく)英語で提供しなければなりません。

日本の企業が海外に進出して事業所を設けたり、日本国内の事業所に外国人が働くようになりますと、就業規則をはじめ諸規則はその従業員達が理解できるよう、日本語と英語で作成されなければなりません。     

このように企業ではすべての分野で日英両言語による規則類、諸規定、契約書類の作成が必然的に必要になって来ているのです。日本の企業はバイリンガリズム(二言語使用)にならざるを得ないのです。楽天やユニクロが英語を社内公用語として必修としたのは、このような必然的な結果があるのです。

(4) 翻訳の必要性
英語が良く出来る日本人が社内に居て英文契約書などはそのような人に任せれば良いではないか、という考え方もあります。

しかし膨大な量の契約書や規則を考えると日英両文書を作っておきませんと仕事が能率よく進みません。英語が非常に良く出来る人であっても、法律的な規則文を日本語を読むスピードと同じでは読めません。英語の達人であっても日本語の3分の1くらいのスピードでしょう。日本語でまず読んで、細かい重要なところを英語の原文に当って丁寧に読む、というのが日本の国際企業の仕事の進め方でしょう。

それと同時に、契約書や規制類を読むのは関係各部門の全員です。英語のできる海外取引担当部門だけで処理するわけではなく、経理、人事、法務、製造など多数の関係部門に回付されます。それら関係部門の全員が英語の達人であるわけではありません。したがって契約書や規則類は英語で書いてあるものは日本語に翻訳し、日本語のものは英語に翻訳して二言語の書類を回付しなければならないのです。翻訳のコストはかかりますがこれはグローバリゼーションに伴う多国籍化のコストとして考えて、今ではどの企業も翻訳に出すようになって来ています。


4. 法律紛争
グローバリゼーションが進んで海外との取引が増えれば、必然的に(一定の確率で)紛争は増えます。海外の相手先との紛争は、日本国内での紛争のように別の取引で穴埋めするとか、将来の取引のために今回は泣いて置くというわけには行かないでしょうから、その都度決着をつけざるを得ません。勢い訴訟や仲裁で処理することになりましょう。したがって国内の場合より法律紛争になることは多くなります。訴訟も仲裁も海外においては現地語で行われることになりますから、日本語に翻訳しなければなりません。法律紛争が起きますと、訴状、答弁書、弁論書、証拠文書等作成される文書は膨大なものになります。これらがすべて翻訳に廻されます。これも法律翻訳書類です。


5. 結論として(1)社会の複雑化に伴う規制類の増加、(2)グローバリゼーションの進展によるバイリンガル需要、(3)企業内部の必要性の要件から、法律翻訳の需要は益々増えて行きます。法律翻訳者は益々求められることになるわけです。翻訳の中で契約書翻訳を含む法律翻訳は最も需要のある分野でしょう。

  (The Professional Translator 9月10日号より)
 

<プロフィール> 石田佳治
バベル翻訳大学院(USA)ディーン。 神戸大学法学部卒業、ワシントン州立大学ロースクール・サマーセッション、ウイスコンシン大学ロースクール・サマープログラム、サンタクララ大学ロースクール・サマープログラム修了。主要分野は国際法務・アメリカ法。 商社法務部長(蝶理)、スイス系外資企業(ロシュ、ジボダン・ルール)法務部長など一貫して法務畑を歩んだ国際法務専門職で内外のロイヤーに知己が多い。 著書に「リーガルドラフテイング完全マニュアル」「欧米ビジネスロー最前線」「シネマdeロー」などがある。